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浜名湖の歴史と利用

浜名湖の歴史はおおよそ、40~50万年前の海侵期、天竜川の堆積により台地が形成される。次の海退期に現浜名湖付近に、谷を形成、38万年前、第二海侵期に入り江となる。このとき三方原台地が堆積する。この海退期には天竜川は三方原、磐田台地に分裂させ、第三海侵期に浜名湖付近の沈降と海面上昇で、現浜名湖に近い入り江が出来る。第四海退期(約2万年前)それに続く沖積世の海面上昇により沿岸流が運ぶ土砂で入口をふさがれ、現在の浜名湖を形成した。

沖積世の海面上昇は縄文海侵(海進)とよばれ、このあと+3~‐2mほどの海侵、海退が数度おとずれた。これは、低地に海岸線に平行な、いくすじもの、砂堤を残している。その最大は雄踏で高さ10mである。縄文中期~後期以降 浜名湖は庄内半島から日ノ岡より北に、あり、その南は平野となっていて、川として現在の弁天島駅付近で海に注いでいた。その後この大平野が消滅、平安時代には浜名湖の出口は現在の新居町大倉戸に流れていて、橋が掛けられた。この川を浜名川といいここを東海道が通っていた。

以上 第7回特別展 縄文文化 1985.7.30~9.1 浜松市博物館 この資料において 明治ごろの浜松付近 図において 南半分の水没を室町時代としているが、地名が語る新居 昭和57年3月31日発行 新居町教育委員会 によれば、水没記録はなく、奈良時代にすでに猪鼻の駅が書かれており、(江戸時代後期の絵地図の為)現実的には、平安時代に浜名橋の記録があるため、平安時代までにとするのが、現状である。

また、常設展示案内書 目でみる浜松の歴史 浜松市博物館 1979年4月1日 は縄文時代おわり頃には、浜名湖の出口は新居,大倉戸となり、弥生時代には、浜名川の川幅や浜名湖が少し大きくなる。奈良平安時代にはまた、川幅や浜名湖はやや狭くなる。このとき猪鼻の駅の推定値は湖西市古見付近との記述、図説がある。

なお、猪鼻の駅は現在の猪鼻湖付近との説もある。

一般的に、かつては古名は遠津淡海(とおつあわうみ)と呼ばれており、遠江の語源となったとも言われる。ただし、国府のある磐田湖(大之浦)を指すとする説もある。この時代は、(琵琶湖より)遠い淡海つまり淡水湖として認識されていた。浜名湖は海に近い湖であったが、湖面の方が海面より高く、浜名湖より流れ出る川を海水が逆流するようなことは無かった。

しかし、明応7年(1498年)に起きた大地震やそれに伴う津波により今切れが出現した。

その結果、浜名湖と海を隔てていた地面の弱い部分(砂提)が決壊し現在のような汽水湖となった。この時、決壊した場所は今切(いまぎれ)と呼ばれ、渡し船で往来するようになった。今切は文字通り「今切れた」という意味である。

この今切の渡し(いまぎれのわたし)は東西交通の難所として広く知られたが、鉄橋や道路なども通り安全に往来できるようになっている。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
ウナギ、ノリ、牡蠣、スッポンなどの養殖が盛んだそうです。

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2009年7月22日 15:00に投稿されたエントリーのページです。

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